安藤杳子の本の話。

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行動する鷹と、行動しない蜜|『万延元年のフットボール』大江健三郎

緊急事態宣言下のいまは、「自粛」を「要請」され「行動しないこと」が要求される。「行動しない」というのは、実は痛みをともなうということが、この1年間のうちによくわかった。昨年の初めての緊急事態宣言から言われている「自粛疲れ」がそうだ。そして、現代は「諦め」が蔓延しているように思う。新型コロナウィルスの感染の拡がりも、東京オリンピックも、全てがため息のなかでなびきながら日本中を覆っている。「行動できない」ことが、「行動しない」ことに移動している。

大江健三郎の『万延元年のフットボール』では、自己を罰するように行動し、他者を巻き込んで大きなうねりを生み出していく鷹四と、何にも干渉しないで自分の殻にこもろうとする行動しない蜜三郎という二人の兄弟が対照的に描かれている。

舞台は、四国の森の中の村。「鷹」は村で100年前に起こった万延元年の一揆をなぞるように、村の青年団を率いて「スーパーマーケット」を襲撃する。「蜜」は、かつて自分が育った村のことには関わらないことを誓い、じっと家の倉屋敷に引きこもり、赤色の塗料で頭と顔をぬりつぶし、素裸で肛門に胡瓜をさしこみ縊死した友人の遺した翻訳の仕事を続けようとする。

「蜜」には養護施設に預けた子どもがいる。妻の奈採子はアルコール中毒になり、ウイスキーを手放せなくなっている。しかし「蜜」は積極的にはそのようなことにも積極的な姿勢を見せない。「鷹」のことも、縊死した友人のことも、自分のことも「鑑照」することで常に客観的な姿勢を崩さず、そのことで安全な居場所にいようとする。物語のさいご、どのようにして「蜜」が安寧の場所を見つけようとしたのか。読んでそれを確かめてほしい。

 

 

万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)